佐賀の出版元 出門堂

2008年03月26日

枝吉神陽が会った人々2 菅野白華

『枝吉神陽先生遺稿』楠神社・枝吉神陽関係年譜(江頭慶宣氏作成)には、神陽が弘化3年(1846)3月9日に鎌倉・水戸・房総・奥羽・越後など諸国へ向けて旅に出たことが記されています。そのときに同行したメンバーの一人に、菅野白華がいます。
 菅野白華については、『「昌平黌」物語』(斯文会、1973)によると、

  白華、名は潔、字は聖與、狷介と称した。播磨の人、昌平黌に入り、業を古賀侗庵に受け、姫路藩に仕え、江戸藩邸の教授に補せられたが、安政戊午の大獄に嫌疑を以て下獄し、ついで姫路に拘せられた。文久三年赦にあい好古堂の副督学に補せられた。明治三年三月八日歿、年五十一。

とあります。神陽と同じく古賀侗庵の門人ということです。『枝吉神陽先生遺稿』には、己酉(1849年)に江戸を去る神陽の送別として送った菅野白華の詩が収められています。日本各地から江戸へ留学した秀才たちの交友があったことがうかがえます。

萬里江関隔月帰。知君長鋏有餘煇。西溟他日屠鯨手。且向江湖試一揮。
  己酉春。送世徳枝吉大兄帰火国。賦之叙別。兄帰途将游上国。潔。菅野氏白華。




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