佐賀の出版元 出門堂 | 2008年03月31日

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2008年03月31日

枝吉神陽が会った人々3 藤森弘庵

前回同様に『枝吉神陽先生遺稿』をたよりに神陽の交友を追うと、弘化3年(1846)3月、土浦藩の藩校郁文館の客分になり、藤森弘庵と詩文の応酬をしていることが記されています。
郁文館は、寛政11(1799)年に土浦藩の藩校として創設され、当時は藤森をはじめ教授陣が充実し、全国でも著名であったようです。
藤森弘安は、明治にむけて多くの人物を育てた功績は大きいといえるでしょう。明徳出版社からは『梁川星巌・藤森弘庵』として伝記も出ています。
神陽の出身である肥前佐賀藩の関わりでいえば、藤森は古賀穀堂(第1回の古賀侗庵の兄で、鍋島直正の師傅)や古賀侗庵に師事したということもあり、神陽とのあいだには共通の話題も少なくなかったろうと思われます。25歳の神陽は、藤田東湖らとならんで名を馳せていた藤森弘庵(47歳)と詩を交わす機会を得たのです。
神陽にむけた藤森の詩を、『枝吉神陽先生遺稿』から紹介します。

明月投窮巷。光輝生茅茨。諸君海内俊。文彩擅英奇。
湖海元龍気。兼以絶世姿。晤言起慵懦。傾蓋獲心知。
相逢如昨日。又此告別離。雄藩星宿分。各在天一陲。
男児四方志。再会非難期。会期雖非難。亦抱別離悲。
今日分手後。慵懦誰能医。
  奉送別枝吉十文字安藤木村諸先生。
                藤森連再拝。