佐賀の出版元 出門堂 | 取材日記
2008年08月10日
佐賀の淡水魚(カワムツ)
佐賀東部の川でつかまえたカワムツ。
ヌマムツは顎のあたりに赤いブツブツがありますが、それ以外はそっくりです。
わたしがアミをしかけるポイントには両方が生息しており、
15センチほどのヌマムツと10センチのカワムツが同時にアミにかかったこともあります。

近日ヌマムツの写真も掲載します。
(X)
ヌマムツは顎のあたりに赤いブツブツがありますが、それ以外はそっくりです。
わたしがアミをしかけるポイントには両方が生息しており、
15センチほどのヌマムツと10センチのカワムツが同時にアミにかかったこともあります。
近日ヌマムツの写真も掲載します。
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2008年08月01日
ヨシノボリ
ヨシノボリ。
佐賀県東部の川でつかまえたヨシノボリです。
ちょっとドジョウにもにていますが、ヒゲはありません。
佐賀の川にはたくさんいますが、
川底の色となじんでいるのでなかなか見つかりません。
おなかに吸盤のようなものがあり、
水槽の壁にはりついた状態で水面まで上っていきます。
愉快でかわいらしい魚です。

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佐賀県東部の川でつかまえたヨシノボリです。
ちょっとドジョウにもにていますが、ヒゲはありません。
佐賀の川にはたくさんいますが、
川底の色となじんでいるのでなかなか見つかりません。
おなかに吸盤のようなものがあり、
水槽の壁にはりついた状態で水面まで上っていきます。
愉快でかわいらしい魚です。

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2008年07月29日
楢林宗建によるわが国初の牛痘接種の実施日が特定される
小社『わが国はじめての牛痘種痘』の著者である深瀬泰旦先生から、お手紙をいただきました。その中で、楢林宗建の日本はじめての接種日を特定するにあたり、一定以上の信憑性をもった報告があるとされています。深瀬先生のご諒解を得て、以下紹介いたします。
ということです。この接種の後、全国各地の蘭医を中心にいっきに牛痘接種が広がっていきます。
なお、日本最初の種痘についてはさまざまな説があるようです。『わが国はじめての牛痘種痘』では、「楢林宗建が嘉永二年におこなった牛痘接種は、その成功が今日にいたる牛痘接種に継続しているという事実によって、本邦初の牛痘接種といってよいであろう」としめくくられています。
天然痘という、当時の驚異であった病の根絶のために苦心した多くの人々に敬意を表します。(X)
ピッツバーク大学名誉教授(歴史学)アン・ジャネッタさんの著書*によりますと、1849年8月14日の「蘭館日記」に
近頃バタビアからもたらされた牛痘物質をもちいて、今日モーニッケが3人の日本の子どもに接種した。長崎奉行はモーニッケから指導をうけるために、若い日本人医師に毎日出島に通うことを許可した。
との記事があるとのことです。8月14日を旧暦になおしますと(嘉永2年)6月26日にあたります。ジャネッタさんもこの日を接種日としています。
また建三郎の年齢ですが、さきの著書でも5ヶ月児(呉秀三)、10ヶ月児(「楢林家系譜」)、15ヶ月児(古賀十二郎)などいろいろな説があるとしてしまいましたが、孫にあたる楢林基成氏によりますと**、祖父建三郎の大正元年12月18日に撮影した写真に「63歳9ヶ月」と書かれているとのことですので、これから逆算すると「嘉永2年3月生まれ」になると断定しています。嘉永2年生まれであることは間違いありませんが、誕生日は何月何日かが不明ですので、この逆算がすぐに正しいとはいえないとおもいます――この点につきましてはさらなる考察が必要かと存じます――ので、「3ヶ月乃至4ヶ月の乳児」といっておいた方がよろしかろうと思っています。
*Ann Jannetta: The Vaccinators Smallpox, Medical Knowledge, and the Opening of Japan. Stanford University Press. Stanford, California 2007〔132ページ〕
**楢林基成『八十路坂』2007年〔18ページ〕
ということです。この接種の後、全国各地の蘭医を中心にいっきに牛痘接種が広がっていきます。
なお、日本最初の種痘についてはさまざまな説があるようです。『わが国はじめての牛痘種痘』では、「楢林宗建が嘉永二年におこなった牛痘接種は、その成功が今日にいたる牛痘接種に継続しているという事実によって、本邦初の牛痘接種といってよいであろう」としめくくられています。
天然痘という、当時の驚異であった病の根絶のために苦心した多くの人々に敬意を表します。(X)
2008年06月14日
物部神社
みやき町(旧北茂安町)板部の物部神社です。
いまは人気(ひとけ)もなくひっそりとした神社ですが、
金子信二『佐賀読本』では、『肥前国風土記』にある「物部経津主神」(もののべふつぬしのかみ)が祀られているといわれている神社です。

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いまは人気(ひとけ)もなくひっそりとした神社ですが、
金子信二『佐賀読本』では、『肥前国風土記』にある「物部経津主神」(もののべふつぬしのかみ)が祀られているといわれている神社です。

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2008年05月01日
一年ぶりのリベンジ
先週の土曜日、佐賀市大和町にある「華蔵庵」へ行ってきました。
ご存知の方も多いと思いますが、ここは湛然和尚が晩年住まいとしていた跡です。湛然和尚とは『葉隠』の口述者である山本常朝の師として大きな影響を与えた人です。現在は、このような塔がたててありました。

実は、約一年前にも出門堂発行の「老いと死の超克――わが葉隠」の取材でこの場所を探していました。1時間以上も近辺を探し回ったあげく、たどりつくことができずに諦めたのですが、今回は難なく行きつけました。というのも、「華蔵庵」入口に去年の取材時にはあきらかになかった、立派な案内板が設置されていて容易に発見できたのです。どなたか、同じ思いをされて設置していただくことになったのかわかりませんが、名古屋からのお客様を案内していたので非常に助かりました。
「華蔵庵」は杉林に囲まれた小高い山の中にありました。鳥の声と風にゆれる杉の葉の音しか聞こえない静かな場所です。ここで湛然和尚と山本常朝はどんな話をしていたのか……
去年の取材時に同じ大和町にある石田一鼎の閑居跡も訪れたのですが、ここも探しあてるのに苦労した場所でした。全ての史跡の整備がなされるのは難しいかも知れませんが、郷土の遺産を大切にしていきたいと思った一日でした。
取材箇所もろくにたどり着けないなんて……まだまだ詰めがアマイ編集の日々です。
ちなみに「華蔵庵」はこちらです。
国道263号線を三瀬峠方面へ向かって大和町の三反田交差点を左折すると右手に画廊があります。
そのすぐ脇の小道を登って左の道へ進み、ばらくしたら「華蔵庵」の案内がみえます。
ご存知の方も多いと思いますが、ここは湛然和尚が晩年住まいとしていた跡です。湛然和尚とは『葉隠』の口述者である山本常朝の師として大きな影響を与えた人です。現在は、このような塔がたててありました。

実は、約一年前にも出門堂発行の「老いと死の超克――わが葉隠」の取材でこの場所を探していました。1時間以上も近辺を探し回ったあげく、たどりつくことができずに諦めたのですが、今回は難なく行きつけました。というのも、「華蔵庵」入口に去年の取材時にはあきらかになかった、立派な案内板が設置されていて容易に発見できたのです。どなたか、同じ思いをされて設置していただくことになったのかわかりませんが、名古屋からのお客様を案内していたので非常に助かりました。
「華蔵庵」は杉林に囲まれた小高い山の中にありました。鳥の声と風にゆれる杉の葉の音しか聞こえない静かな場所です。ここで湛然和尚と山本常朝はどんな話をしていたのか……
去年の取材時に同じ大和町にある石田一鼎の閑居跡も訪れたのですが、ここも探しあてるのに苦労した場所でした。全ての史跡の整備がなされるのは難しいかも知れませんが、郷土の遺産を大切にしていきたいと思った一日でした。
取材箇所もろくにたどり着けないなんて……まだまだ詰めがアマイ編集の日々です。
ちなみに「華蔵庵」はこちらです。
国道263号線を三瀬峠方面へ向かって大和町の三反田交差点を左折すると右手に画廊があります。
そのすぐ脇の小道を登って左の道へ進み、ばらくしたら「華蔵庵」の案内がみえます。
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