佐賀の出版元 出門堂

2008年07月29日

楢林宗建によるわが国初の牛痘接種の実施日が特定される

小社『わが国はじめての牛痘種痘』の著者である深瀬泰旦先生から、お手紙をいただきました。その中で、楢林宗建の日本はじめての接種日を特定するにあたり、一定以上の信憑性をもった報告があるとされています。深瀬先生のご諒解を得て、以下紹介いたします。


ピッツバーク大学名誉教授(歴史学)アン・ジャネッタさんの著書*によりますと、1849年8月14日の「蘭館日記」に

近頃バタビアからもたらされた牛痘物質をもちいて、今日モーニッケが3人の日本の子どもに接種した。長崎奉行はモーニッケから指導をうけるために、若い日本人医師に毎日出島に通うことを許可した。

との記事があるとのことです。8月14日を旧暦になおしますと(嘉永2年)6月26日にあたります。ジャネッタさんもこの日を接種日としています。

 また建三郎の年齢ですが、さきの著書でも5ヶ月児(呉秀三)、10ヶ月児(「楢林家系譜」)、15ヶ月児(古賀十二郎)などいろいろな説があるとしてしまいましたが、孫にあたる楢林基成氏によりますと**、祖父建三郎の大正元年12月18日に撮影した写真に「63歳9ヶ月」と書かれているとのことですので、これから逆算すると「嘉永2年3月生まれ」になると断定しています。嘉永2年生まれであることは間違いありませんが、誕生日は何月何日かが不明ですので、この逆算がすぐに正しいとはいえないとおもいます――この点につきましてはさらなる考察が必要かと存じます――ので、「3ヶ月乃至4ヶ月の乳児」といっておいた方がよろしかろうと思っています。

*Ann Jannetta: The Vaccinators Smallpox, Medical Knowledge, and the Opening of Japan. Stanford University Press. Stanford, California 2007〔132ページ〕
**楢林基成『八十路坂』2007年〔18ページ〕


ということです。この接種の後、全国各地の蘭医を中心にいっきに牛痘接種が広がっていきます。
なお、日本最初の種痘についてはさまざまな説があるようです。『わが国はじめての牛痘種痘』では、「楢林宗建が嘉永二年におこなった牛痘接種は、その成功が今日にいたる牛痘接種に継続しているという事実によって、本邦初の牛痘接種といってよいであろう」としめくくられています。
天然痘という、当時の驚異であった病の根絶のために苦心した多くの人々に敬意を表します。(X)



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Posted by 出門堂 at 11:30 | Comments(0) | 取材日記
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