佐賀の出版元 出門堂 | 2008年05月04日
2008年05月04日
枝吉神陽が会った人々6 五十嵐三省
3回目に取り上げた藤森弘庵ともに五十嵐三省とも、この旅の中で交遊しています。弘化3年(1846)3月頃と思われます。
さて、この五十嵐三省ですが、「五十嵐三省墓誌」なるものがあり、『事実文編』七六に収録されています。撰文は木原元礼です。それによると、
文政2年(1819)~明治7年(1874)。名を儀一、別号を愛山。常陸土浦の人。土屋氏に仕える。木原とともに藤森弘庵のもとで学んだ。昌平坂学問所にも留学した。
ということがわかります。このような人物たちがどの程度顕彰されているのか?
常陽新聞新社『民話一○○話 土浦ものがたり』の中に取り上げられているようですが未読です。
神陽の足取りを追ってみると、昌平坂学問所の人物が藩をこえて交際が密であったことがよくわかります。
さて、この五十嵐三省ですが、「五十嵐三省墓誌」なるものがあり、『事実文編』七六に収録されています。撰文は木原元礼です。それによると、
文政2年(1819)~明治7年(1874)。名を儀一、別号を愛山。常陸土浦の人。土屋氏に仕える。木原とともに藤森弘庵のもとで学んだ。昌平坂学問所にも留学した。
ということがわかります。このような人物たちがどの程度顕彰されているのか?
常陽新聞新社『民話一○○話 土浦ものがたり』の中に取り上げられているようですが未読です。
神陽の足取りを追ってみると、昌平坂学問所の人物が藩をこえて交際が密であったことがよくわかります。