佐賀の出版元 出門堂

2008年03月19日

枝吉神陽が会った人々1 古賀侗庵

枝吉神陽が会った人々


枝吉神陽は幕末佐賀藩勤王運動の首魁です。神陽と出会った当時の名士たちは、現在かならずしも著名ではありません。しかし、顕彰されるに足りない人物たちかといえば、まったくそうではありません。
まずは、枝吉神陽が天保15年9月10日に昌平坂学問書書生寮に入寮したころ以降の交友の痕跡を小社刊『枝吉神陽先生遺稿』(龍造寺八幡宮楠神社編)を参考に追ってみます。
まず、第1番目は、古賀侗庵です。
「丁未九日」という神陽の詩の注に、「甲辰重陽。陪侗庵先生。牟田口先生。于桜田藩邸。……」とあります。甲辰つまり天保15年(1884)の重陽(9月9日)に古賀侗庵にしたがって桜田藩邸を訪れているということです。神陽23歳、古賀侗庵はこのとき57歳です。
 『佐賀県歴史人名事典』(洋学堂書店、1993復刻)によると、

名は煜、通称は小太郎、侗菴と号す。古賀精里の第三子なり。天明八年を以て生る。寛政年間父精里選ばれて幕府に仕ふるや、之に従って江戸に赴く。刻苦勉励学大に揚る。文化六年擢んでられて儒官となり、父子駢番同じく学政を董す。世以て異数となす。弘化四年病を以て終る。享年六十。

とあります。古賀精里ですら現在知る人が少ないのは残念です。さらに知られていない侗庵は、さまざまな面で父精里を遥かに凌ぐ江戸時代を代表する知識人で、幕末維新を考える上で、もっと注目される必要がある人物だと思います。ペリーが来航する半世紀も前に幕府の中枢で開国論をとなえたことも、この父子の注目すべき点です。詳しくは、この春小社より刊行予定の肥前佐賀文庫003をお待ちください。




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この記事へのコメント
「肥前佐賀文庫003」発行、楽しみにしています。
Posted by 吉松 潤二吉松 潤二 at 2008年03月20日 08:47
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